オトナの修学旅行記(その3) 上椎葉ダム

土木広報

命がけで電気をつくり戦後復興へ

全国1億2千万人の土木ユーザーの皆さんこんにちは。
土木広報支援プロデューサーのおがしんです。

弊立神宮で気を感じ、パワーをもらった後、次なる目的地である上椎葉ダムへ向かいます。

弊立神宮から上椎葉ダムまでは、車で50分くらい。
といっても平地の50分でありません。山道の50分はかなりしんどいです。
途中、五ヶ瀬町でランチタイム。

ヤマメの御膳をいただきましたが、身の付きも良くて、とても美味しかったです。

腹ごしらえも済ませて、いざ、上椎葉ダムへ!
って、ちょっと待って。
熊本県人吉に行くはずなのに、ここ宮崎県じゃん。ほんとに人吉に到着するのかどうか若干不安。。。
とはいえ、土木&歴史の旅は面白いので、まっいっか

上椎葉ダムは、国が造ったダムではなく、九州電力により建造された「発電用ダム」です。

ダムというと一般的には「水を貯めておく施設」というイメージが強いと思います。渇水の時などにニュース映像などで見たりする機会が多いですし。
ダムにはそれ以外にもこの上椎葉ダムのような発電を主目的としたものもあります。特に発電用のダムは落差が必要なので、だいたい山深い渓谷に造られることが多くて、規模も大きいです。

上椎葉ダムは、日本で最初の高さ100m級のアーチ式コンクリートダム。黒部の太陽という映画で有名な黒部ダムよりも先に完成しています。
当時は戦後復興のまっただなかということもあり、とにかく電力が必要でした。特に北九州工業地帯に電力を供給するために造られたのが上椎葉ダムです。

規模的にも、当時の九州電力が社運をかけたプロジェクトでした。
当時の日本にとってはダム技術はそこまで発達しておらず、海外の技術者からの助言なんかをもらいながら進めていたそうです。
このアーチ式という工法ももちろん不慣れ、敗戦後で工作機械なんかも乏しい時代だったので、ほんとに大変だっただろうと想像します。
また、この地域の特徴で台風にも悩ませられながらの大工事。それこそ黒部ダムにも匹敵するくらいに命がけの工事だったと思います。
残念ながら工事の過程で、105名の殉職者も出しています。
当時のダム工事、土木工事は、いち早い戦後復興、経済成長を果たすための使命感でいっぱいだったはず。
まさに命がけで電気を確保するために造られたのがこの上椎葉ダムです。

先人の努力と奮闘に感謝するとともに、尊敬の念に堪えません。

水、電気、ガスなどのライフライン、僕たちも大切に無駄にせずに使わないといけませんね。

ちなみに、ダムといえばダムカードですが、上椎葉ダムのダムカードは、ダムから少し降りたところの観光協会でもらえますよ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

それでは皆さん、本日もご安全にー!

プロフィール

◎記事を書いた人
小川慎太郎(通称:おがしん)/土木広報支援プロデューサー

『全国1億2千万人の土木ユーザーに届く広報を』

経済学部出身の土木偏愛者。好きが高じて日本初の「土木広報専門会社」を設立。
広告・イベント業界25年の経験とノウハウで、土木の価値と魅力を伝えるお手伝いをしています。(WEBサイト構築、SNS運用、デザイン、イベント企画、映像制作など)

エクスマ塾100期/一般社団法人ツタワルドボク理事/土木の魅力を発信するwebマガジン「ツタドボpress365」編集長/47都道府県でゴルフすることが夢/芥屋ゴルフ倶楽部/保護猫ちゃん2匹/温泉ソムリエ/最後の晩餐はメロン希望/一般社団法人日本オンラインフィットネス協会理事

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