若きエンジニアが動かした水の奇跡 ― 琵琶湖疎水と田辺朔郎

土木偉人

今日9月5日は、日本の近代土木史に名を残す人物、田辺朔郎(たなべさくろう)さんの命日です。
彼は、明治時代に琵琶湖から京都へ水を引く大事業「琵琶湖疎水」を弱冠20代前半で任されました。
教科書には大きく載らないけれど、日本の都市の未来を支えた偉人の物語をご存じでしょうか?

こんにちは。広告業界出身の土木偏愛者、おがしんです。

琵琶湖疎水とは?

琵琶湖疎水は、滋賀県の琵琶湖から京都市内へ水を引くために明治時代につくられた水路です。
その目的はただの“水の供給”ではありません。
水力発電を利用した日本初の電気鉄道の開通や、産業振興、防火対策など――まさに京都の近代化を支えたインフラだったのです。

卒論がきっかけで大抜擢

そしてこの大事業を任されたのが、当時まだ若干21歳の田辺朔郎さん。
京都帝国大学(当時は工部大学校)の学生だった彼は、「琵琶湖から水を引くべき」という卒業論文を書きました。
その着眼点が高く評価され、なんと実際のプロジェクトの主任技師に大抜擢されるのです。

普通なら「若すぎる」「経験が足りない」と反対されてもおかしくない場面。
ですが、彼は先輩技術者や仲間と力を合わせ、難工事を乗り越えていきました。

前例のない挑戦と困難

工事では、山をくり抜いてトンネルを掘る大工事もありました。
当時はまだ機械化が進んでいない時代。
しかし田辺は、海外の最新技術や自らの工夫を取り入れ、粘り強く挑戦を続けました。

また、現場で働く人々との信頼関係づくりも欠かせませんでした。
ただ設計図を引くだけでなく、「人の心」を動かしながら進めたからこそ、完成までこぎつけられたのです。

完成と未来への影響

1890年(明治23年)、ついに琵琶湖疎水は完成。
この水路によって京都は電気の供給を受け、日本初の市電が走り出しました。
京都の近代化、ひいては日本の産業発展に大きく貢献したのです。

そして何より大事なのは、その偉業を若きエンジニアが成し遂げたという事実。
田辺朔郎の挑戦は、「若さはハンデではなく力になる」というメッセージを今に伝えてくれています。

ショート動画もご覧ください。

田辺朔郎さんの名前は、教科書には大きく取り上げられないかもしれません。
でも、彼が切り開いた琵琶湖疎水の流れは、今も京都のまちを潤し続けています。

今日はその命日。
この記事を読んで「こんなすごい人がいたんだ!」と思ったら、ぜひ周りの人にもシェアしてみてください。
知られざる土木の偉人たちの物語は、とても面白いですよね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

マーケティング視点で広報活動・採用活動をサポートしています。
初回限定・無料オンラインコンサルやっています。
お問合せは、下記のフォームからご連絡ください。お待ちしております!

    土木広報に関することはおまかせ!
    広告業界出身の土木偏愛者。好きが高じて日本初の「土木広報専門会社」を設立。
    広告・イベント業界25年以上の経験とノウハウで、土木の価値と魅力を伝えるお手伝いをしています。(WEBサイト構築、SNS運用、動画配信、デザイン、イベント企画、映像制作など)
    講演やセミナーの依頼も承っています。

    お問合せ・ご相談はこちらから

    YouTubeチャンネル「ドボクのミカタ」やっています。
    チャンネル登録・高評価いただけると励みになります。

    あなたの現場、会社に取材に伺います。
    広報用の動画として活用しませんか?

    それでは皆さん、本日もご安全にー!

    ◎記事を書いた人

    小川慎太郎(通称:おがしん)/土木広報コンサルタント

    『全国1億2千万人の土木ユーザーに届く広報を』

    広告業界出身の土木偏愛者。好きが高じて日本初の「土木広報専門会社」を設立。
    広告・イベント業界25年の経験とノウハウで、土木の価値と魅力を伝えるお手伝いをしています。(WEBサイト構築、SNS運用、動画配信、デザイン、イベント企画、映像制作など)

    防災士/公益社団法人 土木学会会員/一般社団法人ツタワルドボク理事/土木の魅力を発信するwebマガジン「ツタドボpress365」編集長/エクスマ公認SNSアドバイザー/エクスマレプリカンズ1期/エクスマ塾100期/47都道府県でゴルフすることが夢/芥屋ゴルフ倶楽部/保護猫ちゃん2匹/温泉ソムリエ/最後の晩餐はメロン希望/

    お時間あればあわせて読んでね